造形作家 木下陽児の活動 .
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ジェームズ・タレル
2005年05月08日(Sun) 02:59:19
ジェームズ・タレル関連リンク集 Unseen Blue 2002 James Turrell photo: Florian Holzherrジェームズ・タレル 「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」 1999年 直島コンテンポラリーアートミュージアム蔵 1320cm×800cm×365cm 写真は直島通信vol.5より 記事タレル氏と安藤忠雄氏の言葉 タレルの浴槽装置 タレルの浴槽装置についてはsummer_en_tunisie氏のBlog に端的に書かれている。 私は埼玉県立美術館と新潟妻有の「光の家」のみ見たのだが、新潟では昼間に見たせいで浴槽に手を入れこそすれ、夜浴槽につかることはしなかった。 それだけに、s氏のタレルについての身体性を通して語られる印象は私にとって未見であるだけに惹きつけられるものがあった。 また、s氏の記事のようにタレルが身体性を問題にするのは珍しいとも感じる。 水につかるという点において類似の作品としては、プールに入り開口部に至る「へヴィーウォーター」などがあるが、これも身体性という扱いよりは開口部へ向かうための'禊ぎ'の意味合いが強いと考える。 '身を削いで'目だけになり光を見るタレルの一連の開口部が用いられた作品の一形態と捉えるのが自然だろう。 Summer_en_tunisie氏の記事を一部引用する。 「槽に浸る人は、浸った分だけ水平の線で切りとられて、首から上を失う。顔は暗闇のうちに融解し、肩から四肢へと通じる裸体が、光ファイバーの微光で青く浮かび上がる。」 つまり顔は暗闇に同化させられるが、目はかつての自分の身体を見出す仕掛けだ。 視覚と、自己の認識の境界面である'顔'を失わせるというやり方で新たに身体を見出させる方法はタレルのほかの作品には(私の少ない知識の範囲ではだが)類がないように思われる。闇を見るということ 下記掲載のミヤケ氏のトラックバックでのタレルの作品体験を読み、先日『夏解』という映画(テレビでの視聴だったが・・・)を見たことを思い出した。 その中で俳優の柄本明氏(このキャスティングが素晴らしい!)が、失明した患者の役で次のような台詞を言っていたことを思い出した。 「視力を失ってみて初めて分かったことは、目が見えていた時に私は、暗闇という光を見ていたのです。」 「視力を失った後の世界は暗闇ではありません。何と言いましょうか。乳白色の霧の中にいるような感じなのです。」 「Backside of the Moon」私はまだ見ていないのだが、『南寺』での体験はきっと、この闇という光を目の当たりにすることなのではと想像した。
続き
タレルの代表的な作品『Danae』では「暗順応」が用いられ、視覚を異なる順応状態に置いておいて、光のある場所へと向かわせる。すると視覚は「壁に張り付いたような膜状・面状の光」から「開口部の向こうの光」そして「充満する光の塊」へと見えるもの(視覚)を再編成していく。 James Turrell Danae 1983 そのとき、身体は全部削ぎ落とされ、視覚そのものになる。かつての身体は失ったが視覚だけが残るという感覚よりは、「見ること」そのものになるという言い方が近いだろう。目さえもただの開口部(ピンホール)となり、枠そのものになる。 箱のこちら側は暗闇で、刳り貫かれた開口部の向こうの箱には光が塊としてあり、「見ること」のみになった私の目の小さな開口部とちょこんと結節している。 つまり、避けられない身体も視覚も消し去り、闇と光が接している極々薄い存在となって知覚される世界。 身体を削げば意識のみが残り、顔を削げば身体だけが厳然と現れるという人に関する認識ではなく、「見ること」そのものになって初めて見えるあちら側=光=見える以前の世界。 名づけられて初めて身体は存在すると聞いたことがあるが、「見ること」もある意味この構造と同じと言える。人に見出されて初めて視覚は生じると。逆に言うなら、人に見られる以前でも光はそこにあるのだ。 知覚されることを待つ光が、知覚しようとする以前の自分と接触し、初めて知覚される現象は、意識や身体、記憶などに左右されない純粋に「見ること」そのものなのだ。
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ジェームズ・タレル体験
ジェームズ・タレルは傑出した芸術家である。 香川県は直島の地中美術館にある現代アート群は衝撃であった。 なぜ私はこれほどの芸術(現代アート)を見過ごしてきたのだろうか。 という思いを抱かずにはいられなかった。 とくにジェームズ・タレル(James Turrell)の
2005-05-08 Sun 03:25:50
ミヤケ・エッセイ
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