Yoji Kinoshita Works

造形作家 木下陽児の活動       .

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LISMOドラマ 意外にも面白い のかも -中野テレビで365日-

2012年03月29日(Thu) 00:18:20

地デジ切り替えはブラウン管テレビが白黒になって
叩いたらやっと見れていたのについに臨終映らなくなって仕方なく切り替え
携帯はあるけれど見れる動画を見たことない
東京MXが今一番熱いと思う

そんな折 中野テレビで
LISMOドラマを見た
長らくご愛顧だったLISMOドラマ今日で最終回
ありがとうございましたのテロップとともに。

前田弘二監督
LISMOドラマ『婚前特急-結婚まであと117日-』(2011年9月2日 - 9月30日、全5話)[5]
出演:吉高由里子、宇野祥平、剛力彩芽、山本梓、浜野謙太 ほか

映画版の婚前特急はいい男しか出ていないのもあるのか見ていないけれど
117日の方は監督の過去作品で怪演しているという宇野祥平氏が低空でじわじわ炸裂していて
意外にも面白かった のでは?

LISMOドラマ アナドレナイ のかも

西行 平清盛

2012年03月12日(Mon) 00:17:42

阿佐ヶ谷の裏ぶれた商店街の雑貨屋の店先
ガチャガチャでフジツボのマグネットを出した日。
(小田原の両親が引っ越した家を見に来てくれた日でもある)

大河ドラマ平清盛『義清散る』
奥さんの解説で、イケメンの武士義清は後の西行とのこと
23歳で随分年上のたまこさんの心を引き出そうと試みるも
振られ怒りのあまり首締めの碇シンジ君状態
心を引き出そうとしたが引き出されたのは私の方だったと
本気で好きになっちゃたのはオレのほうだった〜〜〜
救うつもりが自分が窮地になり
投げたブーメランが自分にそのまま返ってくるというトホホ振り。

家に帰るも桜の花びら「美しいでしょ」と言った幼い娘を蹴倒し出家
(通常なら「お父さん行かないで〜」とすがる娘を蹴飛ばす演出になりそうな所を
ムムムムム〜〜〜〜〜と理由も分からずこみ上げ蹴倒してしまうという斬新?な演出に
一般人は説明が少なすぎて目が点にならないかと心配になる)

ファミリーを重んじる親友清盛君が追いかけてきて、止めてくれるかと思いきやボコボコに殴ってきて
「こんな無様なイケメン君になっちまったお前の姿なんて見たくな〜〜い」と罵られ
最後に義清が放った詩

身を捨つる人はまことに捨つるかは
     捨てぬ人こそ捨つるなりけれ  ※註1

「人生オワタって言うな(怒)ファミリーなんて俗な世に縛られているお前こそ人生捨てている」
そう詠って「さらばっ」とかっこ良く去ってみたが
その詩は
[別訳]俗世をすてて形だけ出家となった人が、本当にうき世を捨てたのではない。捨てないで俗世に残っている方が、その人の心の持ち方、生活のしかたによっては、内容的にはかえって、形式的に出家した人よりも真に世を捨てたことになる。
という解釈もでき
「お、俺は形だけ出家して調子に乗って世を捨てた気でいただけだったのか〜〜〜〜
まっまさか、平家なる疑似家族を背負ってくだらない浮き世でもがく清盛こそ、逆に真に解放されているというのか〜〜〜」
嫌味で放った詩が逆に自分の至らなさを露呈する証になってしまうという
またしても”放った矢がそのまま自分に返ってくる文明”発動
とことんトホホ体質な西行くん


<[訳]俗世をすて身をすてて出家した人を世の人は身(世)をすてたと言いますが、そうではなく、それは身を救ったのです。俗世をすてず、出家をせずに、あくせくしている人の方が、無明の生活をしていることになるので、大切なこの受けがたい人身を捨てたことになるのです。

[別訳]俗世をすてて形だけ出家となった人が、本当にうき世を捨てたのではない。捨てないで俗世に残っている方が、その人の心の持ち方、生活のしかたによっては、内容的にはかえって、形式的に出家した人よりも真に世を捨てたことになる。>

註1)http://www.d4.dion.ne.jp/~happyjr/ibaraki/e10_yomibito.html
より引用


[映画] 『Under Water Love 〜おんなの河童〜』VS『川の底からこんにちは』

2011年10月15日(Sat) 23:31:26

俺チョイスで『Under Water Love 〜おんなの河童〜』を映画館で
奥さんチョイスで『川の底からこんにちは』をDVDで観た。

偶然なのだろうけれど
どちらも魚の缶詰加工工場であったり、シジミパック詰め工場であったり
給食のおばさん的服装やロケーションやらが共通する。
川から河童・川から黒い白鳥のシーンなど水が出てくる点も何とはなしに通じる
共通項があるとなると
どちらの映画に軍配が上がるか野暮とは思うが考えてみたくもなる。

主演女優に若くてかわいい子を配せば売れるという風潮に抗うべく
主演女優が若くてかわいい女優でない形で映画を作ったら成立するのか
という問いに
おんなの河童は応え見せてくれた。主演の正木佐和さんの
屈託のない笑顔が1人で突き抜けていた

ところが
川の底からの
主演女優は若くてかわいらしい。(通常だとそこで物足りなさを感じ、
もしもこの映画の主演女優が若くてかわいくない形で撮ったら成立するのか?と
考えたりもする)
そんな主演の満島ひかりは
主演女優に若くてかわいい子を配せば売れるという状況を担保できる資質も持ち合わせているのに
(『愛のむき出し』以来映画でお目にかかるのは2回目。園監督が撮った満島さんは
園監督の意図した画面通りの「衝撃」だったので、若くてかわいいだけで済みそうもないのは
予感できましたが案の定)
かなり底辺からじわじわ滲み出してくる毒々しさ・突抜感!

若くてかわいらしいのに、可愛くない。不穏。
外見の表面的資質を突き抜けようとするスタンスに
凄味があった。

そんな訳で野暮対決の勝敗、悔しいけれど軍配は満島ひかりに挙がったのでした。



踊る女 〜ビバ・ダンスウーマン〜 『旅とあいつとお姫さま』『Under Water Love 〜河童の女〜』

2011年10月10日(Mon) 20:10:25

踊る女の劇と映画
〜ビバ・ダンスウーマン〜 『旅とあいつとお姫さま』『Under Water Love 〜おんなの河童〜』

Googleは

2011年10月03日(Mon) 12:12:07

映画の感想をブログに書こうと思う時など
「自分の考えることはどこかの誰かが既に言っている。」ことが多い。
自分の考えで書きたいという見栄もあるにはあるけれど
長く書いた所で誰かが言ったことと同じになるなら、ググってリンクを貼ってしまおうか・・・
という諦めの気分=謙遜もまたあったりする。

上質な他人の言動をいかに集め構築できるかが編集力なのです といった考え方もあるので
そこに救いを求めて、引用としてのリンクを多用する形にもなる。

けれどリンクだけだと「どこかの誰かが既に言っている。」ことのみが明示され
「自分の考えること」と同じですよという“シルシ”が残せない。
じゃあ「今回自分が考えたことは、これこれこういうところの誰かが既に言っている。」と
単純に言えばいいじゃないかと思うけれども、学級会で指されて「○○さんと同じです」と言ってしまうか
「分かりません」と答えるか考えているうちに時間が刻々と経ってしまうような
見栄と謙遜のアンビバレントな状況なのである。

ヒトにこの状況を毎回説明するには、面倒だし、何より相手側も面倒だろう。
この状況、ヒトコトで言えないものか?と思う。

そんな悩みもきっと既にどこかの誰かが言っていて、四文字熟語とかが存在しているだろう
と考え天下のGoogle先生に聞いてみる。

「自分の考えることはどこかの誰かが既に言っている。」そして検索

自分で考えることについて〜自主性なんてクソ食らえだ!
というページが最初に検索された。

金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩)という教師をされている方のエッセイのページのようだ。文章は丁寧でいかに自分が先行する達人の恩恵の元でしか考えられないかを
引用を用い綴っている、しかも長文だ。嫌いでない。むしろ自分を見るようだ。

で、さらにGoogle先生の検索結果をひも解くと
20111003<攻殻機動隊名台詞の世界 名言 迷言 心に響く言葉色々>
anime.geocities.jp/koukaku2029/meigen/index.html
「自分の考えることはどこかの誰かが既に言っている。」の検索結果の7番目には
「どこか」「考える」「すでに」「言っ」「こと」「ている」「誰が」と丁寧に
検索ワードを分解・太字にし、攻殻機動隊というセリフが理屈で埋められたクドいアニメに
ついて書かれたページにパズルのようにはめ直してくれる。画像のように。

そんな自分は攻殻機動隊シリーズを複数回見てしまっている。
「あなた無意識に言葉の端々が攻殻節になってますよ」とGoogle先生に指摘されるなんて!
Google先生の
「もしかして○○?」
のおせっかいより手が込んでいる。

検索ワードを分解して再構成したら別の自分になって輝ける!かと思えば
代わり映えしないというかオープンにしなくていい所までつまびらかになる現象はさながら
プチ整形したのにあんまり前と変わらなかったねと言われた時の気分のようだ。
(実際どんなに残念な気分かは分かりませんが)しかも北島○郎に似ちゃってるかも
なんて思われた日には女子なら一大事だ。

自分が分解されつつ、ネット上に(「はいっ、あなたは攻殻オタ属性」と)再構築されたこの現象は
さながらネットに魂ごと同化してしまった攻殻機動隊の主人公素子さんの気分に
当たらずとも遠くない状況かもしれない。
自己はネット上のあらゆるところに偏在できる?!
文字による幽体離脱?!


気がつくとこの話の出発点だった「自分の考えることはどこかの誰かが既に言っている。」を
クドくなく短く言うという主旨から大きくはずれてしまった。
しかも結局かなりの長文になって逆にクドさを露呈することに・・・

「<ガイシュツ>*していたらすみません」

やはりこの場合2chワードを使うのが適当なのかも知れない・・・


*「自分の言うことはどこかの誰かが既に言っているとは思うんですが、念のため言わせて頂ければ」
という相手の気分を害さないように振る舞う自分の低姿勢ぶりを、既出を概出と書き間違えたテイに
ほのかに託すことができる魔法の言葉

[小説] 下ネタで充填された仮初めのジーザス物語 『地下鉄のザジ』 モンキュッ!!

2011年10月02日(Sun) 20:51:19

奥さん紹介のレイモン・クノー。装丁も素敵な『文体練習』
ウリポつながりでジャック・ルーボー

2011年01月16日18:51mixiメモより

地下鉄のザジ 映画解説リンク

文体練習松岡正剛氏『文体練習』リンク
フランス・女の子という単純な理由で、オシャレ映画として認識してきた『地下鉄のザジ』。
奥さんの薦めで原作を読むことに。オシャレとは程遠い下ネタ連呼のテキスト世界。
終盤の展開はさながら『未来世紀ブラジル』のラストスパートのようなトンデモ展開。
充満する下世話感と切り貼りの物語展開に読み終わっても理屈では理解しにくいという読み終わり感。
                 *
それを補足してくれるというのが、変態的多視点ルポルタージュ『文体練習』。
文体練習もザジも、ウリポなる数学まで援用する実験文学集団が織り成す物語だということを知る。

                 *

goku_shiteki_tokyo_annai_text新聞の書評欄に載っていたジャック・ルーボーなる人物の『極私的東京案内』
(タイトルは日本の出版社か訳者がつけたのでイタダケナイ気がするけど)が面白そうと購入。
帯はきつめのピンク色・カバーのデザインはなぜか女子向けの東京案内本に見えるようにウスクチ
・シャレオツになっているという残念な代物で凡そ3000円は割高感がある。
けれど、色分け、段落落とし、学術論文的数字分類など思考の「層」を視覚的に分類した構成は偏執的で
、ミヒャエルエンデの『果てしない物語』の原書は物語の層によって色分けされていると聞くけれど
未だに手に取ったことがないことの、代替物として読者を満たしてくる。

そんなルーボーもウリポの一員であった。



kino2011年01月16日 23:27
アフリカ民族音楽 "ソバヤ"
http://www.youtube.com/watch?v=Xx8mNJLIwbU

http://www.h4.dion.ne.jp/~fuuhp/tyoropa/koujyou.htm
口上
そして所さん
http://www.youtube.com/watch?v=zCPStvzLi6I&NR=1

白熱教室Japan 

2011年10月02日(Sun) 19:36:18

白熱教室Japan NHK教育
10月2日(日)午後6時00分
第1回「“僕はウナギだ”を訳せますか」
明治大学国際日本学部 小笠原泰教授

<日本語特有の表現を例に挙げ、高度文脈依存の言語の背景にある日本人の自己構造を探ります。
また、他の言語にはない複数の一人称の使い分け(相手に応じて「オレ」「ボク」「ワタクシ」
「オトウサン」「センセイ」など)は何故なのか、また、「場の空気、場違い」など日本人が
大切にする「場」とは何なのかなど、意識せずにいた特異な点を明らかにしていきます。>
白熱教室Japanホームページより

番組中小笠原氏は
日本は「高文脈」言語 欧米は「低文脈」言語 と説明する。
高文脈言語とは、他者が既にこのシチュエーションの文脈を理解していることが前提となって発話される言語
低文脈言語では、共同の幻想のような文脈理解の前提は必要としないので、どのようなシチュエーションで
あっても会話が成立しやすい言語
そんな風に自分は理解した。

<相手に応じて「オレ」「ボク」「ワタクシ」「オトウサン」「センセイ」>の下り
男子学生が逆に質問ということで、女子が自分の名前で自分のことを呼ぶのもこの例と同じですかね
欧米の幼児とかは自分のことを名前で呼んだりしないのだろうか?

snap_yojikinoshita_2011100195536.jpg



自己他者関係図



図1 番組中で学生が書いた図            図2 番組と別に参考図 転載元

「運」で人と出会い、「縁」でつながり、「恩」を感じる日本人
「場」について
「間主観性」

第1回は人文学分野として興味深い内容だった。次回からはローカルからグローバルへという観点で
企業での組織論的話を展開するようで、人文学的分野からは離れて行くようだ。


待望の 『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』 第2シーズンと遭遇 

2011年10月02日(Sun) 13:22:39

スコラ 坂本龍一 音楽の学校

第1シーズン
共同幻想網 ぽぽろんろん氏の視聴感想 メモが、本人が打楽器を演奏するということで、やや詳しく、かつ素人の当方にも優しい程度の指摘で程よい

第2シーズン 第1回
150年ごとに巡る
バロック
古典派←
ロマン派
の中の古典派についてだそうだ。

ゲーム音楽と演歌
バロックのバッハが対位法を駆使した曼荼羅イスラムモザイク的楽曲を構築し、神に捧げる数学的音楽だったのに対し
古典派は左手伴奏が基本で、ベートーベンは2つの主題がぶつかる「ソナタ」形式
男と女、柔と剛、酒と涙となんだか文学・文芸的。
俺も奥さんもバッハの数学的な音の方が好みという意見で一致。

バロックもロマン派も全〜部同じクラシックと思っていた私からして、
単純に「クラシック音楽」と聞いて浮かぶ言葉は「崇高」「品格」だったりするけれど
崇高で品格があると感じるのは、対位法を用いて輪唱カエルの歌を神に捧げる曲にまで昇華させちゃう
J・S・バッハ氏に代表されるバロックの音楽のようなのだ。

いわゆる「クラシック」は扱うテーマがベートーベンのように重い・暗いテーマであれば
崇高さや品格が付随することはあっても
作曲法そのものは、ソナタ形式のように2つの異なる主題をぶつけ、より大きなテーマを表現する
というどこか感情的・情緒的な作り。崇高というよりも演歌のようだ。

対して
カエルの歌的最小単位は生真面目にどこまでも守り、組み合わせ方を複雑化・重層化することで
広大な音空間を現出させてしまう曲作りの姿勢は(自分の貧弱な知識の中に限って参照すると)
スティーブ・ライヒのようで、メタリックで数学的な、自動演奏されるゲーム音楽のような印象を持つ。
最小単位が集まり最大の効果へと織り成されて行くその過程と完成の瞬間が
人の力を越えた「崇高」な感覚を与えてくれるのかもしれない。

という個人的妄想。(バロックから古典派に連続的に流れる時代、古典派にあってバロックの手法を
取り入れた作品もあるようで、一概・単純にバロックはバッハ的自動演奏的・古典派は情緒的
というようには分けられないようだ)

スクリーンショット 2011-10-02 14.17.38
〔ミュージック・アニメーション・マシーン
Bach, Toccata and Fugue in D minor, organ

という動画を見ると、オルガンという楽器であるのも相まって電子音曼荼羅世界が視覚的にも感じられる。
{同様の体裁でベートーベンのミュージック・アニメーション・マシーン動画もあるのだが
当たり前だけれどバッハとは見え方(=聞こえ方)が異なる。}〕


AメロBメロ ワークショップ
龍一教授の A動機 に続けて Bを学生さんたちが考える
というもの。
もう既に古典派は、AメロBメロという現在のポップスやロックバンドの曲構成と
同じ作曲法になっていたのか?!という素人としての素朴な驚きと

そんな親しみやすい大衆的曲構成だからこそ
古典派・ロマン派を総称して「クラシック」と呼ぶという大衆カテゴリーとなり
現在ポピュラーとなっているのかもしれない。=市民のための音楽 市民愛(ベートーベンの下りで話されていた内容に通じていく)
 
と妄想して、果たしてこれから A/B/C/サビ みたいに曲作りをしていくのか?!
といういいところで「次週に続く!」となってしまった。
なので第1回は古典派についてのサワリだけだったという印象。次回がお腹いっぱいになれる回になると期待。


映画『コクリコ坂から』 〜吾郎氏が海ちゃんに憑依して暗く陰気に突き抜けろ!地味〜な親殺しをメタ空間でリベンジできたマトリョーシカ映画 〜

2011年09月04日(Sun) 13:46:58

<>引用文 注釈 リンク先 ネタバレします。
 
 
 
Togetter - 「ライスのアニメ感想:#101 コクリコ坂から(製作:スタジオジブリ、2011年)」
http://togetter.com/li/173991

この「コクリコ坂から」の評価が難しいとした点についてはこれからを生きる人間の視点と老境に差し掛かって、達観した人間の視点が混在してて、フォーカスできていないと言う問題点が浮き彫りになっているんじゃないのかなあという気がしたからです。
terry_rice88 2011/08/13 17:08:20
 
今まで語ってきたことって言うのは、あの時代を生きてきた人間が過去を振り返って、「あの頃は良かった」と美化した記憶を押し付けてこのように生きろと指図してると言う風にも取れるかなあと、「もっと生きろ!もっと躍動を!」というのがメッセージ。
terry_rice88 2011/08/13 17:12:04
 
対して、「分かりました、あなた方の記憶はきちんと尊重しますから。あなた方の生き方とは違いますが、僕らの生き方をちゃんと見てください」という風に言い返したのが今回の主人公だった海と俊だったんじゃないんでしょうか。

ゲド戦記ではアニメ上では露骨に描いた親(王)殺し。しかし吾郎氏の父を倒すどころか酷評に終わった親殺しというテーマ。今回の「コクリコ坂から」ではストーリーの中では亡き父への憧憬を描いている(脚本が父である駿氏のため)のだが、死んだ人に思いを馳せる暗い映画になるのを父駿氏は極端に嫌い修正の指示を出していることがNHKのドキュメンタリー『ふたり』を見ると分かる。そんな父の横やりを時に往なし、時にかいくぐり、吾郎氏の最初の絵コンテにあった暗い主人公の姿が地味〜に完成した映画に滲んでいる点。(それについてのヒントが上記ライス氏の感想にある)
映画の快活さはコンテを間引きしテンポをあげるという構造によって実現している。
主人公の性格や佇まいを駿氏が望む快活な女の子に、単純に持って行かず
吾郎氏は父としての駿の不在を主人公海の父の不在に(意識したか否かは別として)重ね、表情は固く、どこか絶えずアンニュイなのだ(これは快活で生きた表情を、吾郎氏とその後に続く世代とアニメーターが技量として描けないことと重なるため、技量不足で硬くなった表情が、結果として父の不在や死者を思うアンニュイとして見る物が勝手に想像している可能性も「入れ子の構造」として同時にある)
 
生き生き動画の父の「生き生きさせなさい!」という指示に対して、カチカチ棒立ちリアリズムの息子君が(父を亡くした主人公海に憑依する形で)、「あなたの指示には従わない。棒立ちでも表情固くても、僕の子どもの頃、父であるあなた(駿氏)は殆ど家にいなかった、その時の苦しみは<快活に描く>なんてことでは解消できない!」と指示に従わず反発している様が地味に主人公海の硬い表情から見て取れるようだ。
 
そういう意味で、今回の「コクリコ坂から」は親殺しを描かずして、メタ空間で親に反抗してみせた、不思議なマトリョーシカ構造の映画だと感じられた。
 
ライス氏は他に、今回の「コクリコ坂から」に押井守氏が感じられる点に関連した押井守氏にも触れている。
 
____________________
続々々・感想・映画「コクリコ坂から」【ネタバレ注意】 【▲→トーノZERO→アニメ感想→コクリコ坂から】
http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20110710092830
 
『コクリコ坂から』に見る「60年代回帰願望」、日米の違いとは?(ニューズウィーク日本版) - Y!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/smartphone/article?a=20110815-00000301-newsweek-int
 
製作陣の諸処の発言まとめ
スタジオジブリ-Yahoo!ニュース
http://dailynews.yahoo.co.jp/smartphone/entertainment/studio_ghibli/#tw.E3.80.8C.E3.82.B3.E3.82.AF.E3.83.AA.E3.82.B3.E5.9D.82.E3.81.8B.E3.82.89.E3.80.8D.E3.81.AB.E8.BE.BC.E3.82.81.E3.82.89.E3.82.8C.E3.81.9F.E6.80.9D.E3.81.84.E3.82.84.E8.A9.95.E8.AB.96

2009年7月20日(月)〜26日(日) グループ展 image.16

2011年07月21日(Thu) 18:32:20


木下 陽児
“8コマ 7つの脚”
2009
紙/樹脂/ペンキ/針金
長谷川画廊



1.会場入り口側から       2.部分        3.会場奥から

2009年7月20日(月)〜26日(日) グループ展 image.16

2011年07月20日(Wed) 23:12:48

イメージ16 第5回小品展

2009年7月20日(月)
    〜7月26日(日)
11:00〜19:00
[最終日17:00]
オープニングパーティー
20日17:00より


長谷川画廊
104-0061
中央区銀座7−11−11
長谷川ビル1F
03-3571-1462

青柳芳夫  大野恵子 ○木下陽児 小林ナオコ 後藤久美 杉田麻里子 高見政良 田所一紘
塚越かほり 津田のぼる 野上和彦 藤田明子 松橋愛美 水野雄現 宮下 泉 森戸麻里未

アクセス:
東京メトロ銀座線 銀座 A3出口より徒歩6分
新橋 1番出口より徒歩6分
東京メトロ丸ノ内線   銀座 C3口より徒歩9分

※右の地図をクリックすると拡大してご覧頂けます

2011年07月20日(Wed) 23:02:40


紙/樹脂/ペンキ
2009

2011年03月31日(Thu) 10:20:42